国家、社会、人間、金、戦争。
2017.04.22 Saturday
久しぶりの新国立劇場で安倍公房の『城塞』を観劇しました。
個人と国家、個人と社会、カネとニンゲンとセンソウと…。
鋭く「今」をも抉る作品でした。
あらためて思う。
政府のオメガネにかなうような一般人であるか常時監視されるような社会にしてはならない。
自分ははみ出ちゃってないかと委縮した社会にしてはならない。
テロ対策という目的も
一般人は対象外という前提も
モノハイイヨウ
ウソモホウベン
かなり怪しい法案は引っ込めてください。
ミサイルが来たら伏せろと言う前に、
撃たせないために必死で外交努力をする姿を見せてください。
戦争放棄の平和憲法を持つ国が煽ってどうする!?
相手が聞く耳持たんというのはその先の話。
財界の有力者で首相の後ろ盾でもある人物が
「そろそろ戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかない。」
と数年前に言いましたが、
今の国会での詭弁、誤魔化し、相手を嘲笑する答弁姿を見ていると、
改正盗聴法や秘密保護法、安保法制を成立させた姿を見ていると、
向かう先は庶民にとってのディストピア。
ヒロイズムに酔いしれて
大きな目的のためには多少の犠牲は仕方ないなどと
決して考えないでください。
「非国民」と言われ、特高に連れ去られる人が続出したかつての日本。
抗議する人々がいつの間にか消されていった70年代のチリ、アルゼンチン、パラグアイなど。
戦争を知らない世代の自分たちだが、
歴史を見ればわかることがある。
旧ユーゴ、チェチェン、ルワンダ、イラク、シリアなど
近年でも何が行われてきたか。
「多少の」と言われてしまう多大な犠牲は、
庶民が払うことになる。
もう、どこかの物語だと言ってはいられない。